映画『セッション』を見た感想と考察。本当に素晴らしい映画


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2015年に日本で公開された映画「セッション」。3年前に公開された本作ですが、今更ながらNetflixにて見終えたので、感想・考察をしていきたいと思います。


私自身、実は「セッション」という映画は名前だけ知っていたのですが、Netflixで映画を探していたらたまたま見つけたので見てみることにしました。好評という情報はどこかのサイトで見たことはありますが、本作を見るまで内容はわかりませんでした。SFなのかコメディなのか何を題材としているのか、全くの前情報なしです。


結果、見終えてビックリ。ファーストインプレッションとしては、ジャズを題材としていると知ったところで音楽も無知な私に楽しめるか心配でしたが、かなり楽しめました。スラムドックミリオネア以来の時間を忘れる感覚を味わいましたね。それではさっそく本題である感想・考察に移っていきたいと思います。


感想

まず、本当に素晴らしい映画でした。音楽に無知な私でも十分に楽しめましたし、例え3年前の映画であったとしても、見て損はしない、とても良い映画でしょう。


シナリオ構成自体は『最後はうまく出来ました。やったね』という一般的な映画ではあるのものの、そんな言葉とは似ても似つかない、内容の濃さや、視聴者を掻き回すような演出が上手く心を掴んでくる最高の仕上がりだと思います。


特にラストシーンのドラム演奏はこの映画が伝えたいことがかなり詰まってるので、何度か見てしまいました。


もしもう一度今作を見る機会があったら、ニーマン役のマイルズ・テラー、フレッチャー役のJ・K・シモンズ、2人の演技に注目してほしいですね。本当に素晴らしいです。


とくに J・K・シモンズの、あのジャズが好きすぎるあまり、物を投げ飛ばすシーンだったり、怒鳴り散らすシーンは印象に残りましたね。スパイダーマンの新聞編集長という、ちょっと可笑しいキャラクターの印象しかなかったので、あんな迫力のある演技ができるのかと驚きました。やっぱり役者さんはすごいです。


考察

ニーマンとフレッチャーは共にジャズが狂うほど大好き

車で大事故を起こしてもなお血だらけの状態で演奏会場に向かうニーマン。なにがなんでも、自分の満足のいく演奏をさせるために手段を選ばないフレッチャー。


どちらも本当に狂っていますが、そういう人が歴史に名を刻むと思うんですよね。発明家しかり、研究者しかり自分の目的のために人生の殆どのを費す。


ニーマン、フレッチャーどちらが真っ当なのかはわかりません。ですが、私が思うには、RPGゲームで例えるとニーマンが勇者で、フレッチャーが魔王ですね。


別にニーマンがフレッチャーを倒すわけではありませんが、魔王がいることで勇者はより高みを目指し、最強を目指すわけなんですよね。魔王は私利私欲のためにやりたい放題やって、目的達成のために人間に嫌がらせという通り道を通るというだけなのです。


音楽教師のフレッチャーはなぜあれほどまでに鬼畜なのか

理由は簡単で、ジャズが狂うほど大好きだからです。自分の満足またはそれ以上の演奏を聞きたいから、あそこまで鬼畜なんです。


では、なぜ教え子に暴力をふるったり、パワハラ行為をするのか。


それは、教え子という存在はあくまで音楽を奏でる自分のロボットだと思っているからです。教え子のために音楽を教えるのではなく自分が満足するために音楽を教えているんです。なにがなんでも自分の満足またはそれ以上の演奏を聞くために、例え生徒が傷つこうが目標が達成できれば、それで良いという考えがあのような行動を起こしたのでしょう。


ニーマンの才能に気づいていたフレッチャーですが、極限まで技術力を高めるためにコノリーを利用し、ニーマンを精神的にも追い詰め完璧を目指していきました。結果、無理だとわかると簡単に切るという場面からフレッチャーからして教え子という存在がどういうものなのかわかりますね。


フレッチャーは音楽以外どうでもいいと思っているのか?

上記で言ったようにフレッチャーは、ジャズが狂うほど大好きです。では、他のことには関心が無いのでしょうか。

フレッチャーはプライベートや練習時間外では、優しく接する場面が何度が出てきていますが、これについてはフレッチャー自身はそれほど重要そうに考えてなさそうに思えました。


というのも、ニーマンの家庭の事情、母が出で行ったことや父が作家だということを話したところ、その場では優しく接していましたが、練習中では納得がいかないと、父母のことを織り交ぜた罵倒を浴びせる場面があったからです。


むしろ、悔しいという感情を引き出させるために、プライベートのことを聞いて、後々罵倒しようとしている可能性もあります。


実はそんなフレッチャーにも、友人?がいます。

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ビジネス上で付き合っている仲かもしれませんが、ある程度は人間関係はありそうですね。よくよく考えてみると、ジャズが狂うほど大好きなので、プロであったり音楽関係の人と繋がっていなくてもおかしくないですよね。


ヒロイン?であるニコルはなんだったのか

でました。とても可愛いニコルちゃん。実は彼女に関して、そのシーンは必要なのか。正直にいってしまうとわからないです。


ニーマンがニコルをデートに誘ったときに「帰って」とか怖い冗談を言うニコルのことですから、彼氏が出来たことは冗談だと思っていました。そして、最終的には最高の演奏を聞いて寄りを戻すと予想していたのですが、まさかの何も無し。


恋愛が原因で落ち込むというシーンはありましたが、挫折とか絶望という感じではなく、これといって演奏に影響があったということもなかったので、必要だったのか、よくわかりません。


考えられるとしたら、恋愛要素を無理やり加えたかったのか。登場人物自体も少ないので女性を加えて和ませたかったのか。もしかしたら、大事なシーンを見逃しているのかもしれないので知っている人がいたら教えてくれると嬉しいです。

ラストのドラム演奏について

見事にはめられたニーマン。スカウトが集う演奏会で失態をさらされるように仕向けられ、有名な音楽家になる夢を潰されました。そこで、ドヤ顔のフレッチャー。舞台袖に履けていく彼は本当に悲しく、怒りが湧きました。


父が抱きしめ「さあ、帰ろう」と声を掛けるとニーマンは何かを思いつきました。それが、本作のラストを飾るあの演出につながります。


あのとき、ニーマンは何を思ったのか。


私の考えになりますが、あのときのニーマンは長年追い続けてきた夢が、フレッチャーのおかげで完全に砕けた瞬間でした。


ですが、ニーマンは前回フレッチャーから終わりを告げられたときにフレッチャーを殴り暴れる気力が有るほどの諦めの悪さです。これは誰よりもドラムが大好きで、人生をドラムに費やしてきた結果から生まれたものでしょう。


以上のことから、あのとき父の「さあ、帰ろう」の言葉と同時に思いついたのは、今まで人生をかけ、一日中ドラムのことを考えていた気持ちを、フレッチャーの演奏会を潰すという意味も含めて最後の最大の力を振り絞ってぶつけようと思ったのでしょう。


演奏し始めは、ニーマンがフレッチャーに「くそったれ」と罵倒したり、指揮を奪っていましたが、途中から2人は指揮者と演奏者という関係になりました。


これは、フレッチャーが求める最高のドラムに非常に近かったため、あとは自分の指揮で納得以上の結果が出せると踏んだのでしょう。


ニーマンについても、ある程度は理解力のある性格なので、腐ってもフレッチャーは音楽のプロだとわかっていたはずです。最大限の力を出し切るためには指揮者としてのフレッチャーのちからが必要とわかっていたのでしょう。


ここで、二人の息が合い今までにない最高の演奏になったと私は考えています。